鹿児島【知覧】の知覧特攻平和会館へ行ってきました!
かねてより一度訪ねてみたかった鹿児島の「知覧特攻平和会館」へ行ってきました。
まだそれほど昔とは言えない時代に、自分よりも若い人たちが命をかけて戦った戦争。
そして今では考えられない「特攻」というある意味、めちゃくちゃ無謀な作戦。
そのときの若者たちの心境など、平和な時代を生きている私には全く想像もつきませんが、その時代の若者たちが、死と隣接した極限状態の中、どんな思いで生きていたのかを知りたいし、それをしっかりと自分の心に刻んでおきたい。
そして、平和な時代に生きていることに感謝し、経営者となって歩み始めたこれからの自分の人生に何か役に立つことがあるのではないか、という想いで、知覧にやって来ました。
知覧は宿泊した鹿児島の繁華街から山道を抜けて、車で約1時間。
今日は天気が良かったのもあって、大きく広がる青い空と、緑の広がる大地、そして気持ちのいいくらい澄んだ空気で何かとても神聖なところに来た感じがしました。
たった何十年か前にここから飛び立った若者たちがたくさんいたということを想像するだけで、心が不思議な感じになります。
当時の若者たちもこの気持ちのいい大きな同じ空を見て過ごしていたんだろうけど、今の私とはまた見え方が違ったのかなぁと。
死を身近に感じながらも、こんな素晴らしい環境の中では、もしかしたら少しぐらいは心を癒せた時間もあったのかなぁと、いろいろ想像しながら、かつて読んだ「永遠のゼロ」の世界をイメージしつつも、思いを馳せます。
10時前に到着した知覧特攻平和会館は、小学生から高校生ぐらいまでの修学旅行生や外国からの観光客もたくさんいて、人であふれていました。
平和会館の中に入ると、当時の若者が書いた手紙や遺書、寄せ書きなどが若者たちの顔写真と共に展示されていました。
顔写真と一緒に掲示してある名前や年齢を見ると、特攻隊の人たちの年齢はほとんどが20代前半です。
顔の表情を見るだけでも、まだ子供なんだなぁと感じることもあれば、顔つきが凛々しくとてもいい顔をしていて、こんな勇敢な表情をした若者たちを「死」へと導く作戦を実行していたことに何か憤りを感じました。
そして展示されている数多くの遺言書を見ていると、そこには特攻隊の若者たちのリアルな姿がありました。
婚約者宛の手紙には、婚約者と一緒に見たい画や行きたいところが書いてあったり、兄弟宛の手紙には弟や妹に「健康第一で頑張れ」と書いてあったり。
書いてある文字も、達筆でなかなか読みにくいものから、今の若者が書いたような字で読みやすいものまで。
特攻隊というと、戦争の時代の話であり、自分たちとは違う世界にいる人たちっていうイメージが強いと思いますが、この手紙や遺書を見ると、自分たちと何ら変わらない若者たちだったんだなぁと思い、中身を読まなくとも、その文字を見ているだけで、心にこみあげるものがあり自然と涙が出てきました。
その中でも、私にとって一番印象的だった書は、今の帝国主義を否定して、これからの日本に対して「自由主義」を望むことを書いていたものでした。
まだ20代前半の若者が自分のことよりも国の未来のことを真剣に考え、自分が犠牲になることで、国がよくなるということを純粋に信じている、そして、そうなることを信じて特攻作戦に向かっていったということを思うと、こんな若者たちを殺してしまうこの作戦ってなんだったのかなと心が痛くなりました。
そして私は、この平和会館の展示もそうですし、メディアで紹介される特攻隊の話などで少し違和感を感じることもあります。それは死亡率100%の明らかに無謀な特攻作戦を、美しい物語として神格化した表現をしている部分もあるところです。
リアルにイメージをすれば、特攻作戦に参加したくないと本音では思っていた若者もいっぱいいたはず。
遺言書に書かれている内容も、家族のため、国のためと素晴らしい言葉がたくさん並んでいますが、ここに展示されているのは一部の立派な若者の生き様だけで、実際は全員が全員、そんなはずはないんじゃないかなぁと思ったり。
もうこの作戦に実際に参加した人たちはほとんど残っていないので、本当のところはわかりませんが、ただ単に特攻隊として国のために頑張った若者たちがいたということが凄いとだけ表面的に見て終わるのではなくて、実際にその世界にいた人たちはどんな状況でどんな思いだったのかを自分の頭でリアルに想像することは大事かなって思いました。
それは世の中の出来事全てに言えることだと思いますが、物事を国や大きな組織から一方的に発信させられる都合のいい情報だけを信じて判断するようになってしまうと、将来、また同じ過ちを繰り返すような気もします。
ですから、物事をどちらか片方の側面だけを見て、判断するのではなく、各出来事に必ず存在する「表と裏」を必ずイメージをして、意識していくこと、これは今後の事業経営、そして自分自身の人生を生きる中でも大切にしていかなくてはならないと強く感じました。
そしてそうは思いながらも、やはりここに展示されている若者の姿、生き様には感銘を受けるところもたくさんあります。
今目の前にある私たちの今の平穏な生活は、こうした若者たちの犠牲の上にあるということが事実であることは間違いありません。
先人への感謝の気持ちと、彼らが経験してきた大変な思いを、これからの未来の世代には二度とさせることのないように、私たちのようなまだまだ世の中においては若い世代が中心となって、今の社会をいい方向へと導いていく意識をもつことが必要なのかなと思います。
【写真は復元された三角兵舎】
空襲を避けるため飛行場から少し離れた松林の中に造られた半地下式木造のバラック建ての建物です。
屋根には偽装用の幼木をのせていました。ここで特攻隊員たちは出撃までの数日間を過ごしたとのことです。
特攻平和会館を見学後は、敷地内にある「隼ラーメン」でラーメンをいただきました!
今日は知覧に来て、改めて自分がこれからの人生を歩んでいくためのパワーと、そして日本人としての覚悟を、当時の若者たちから貰った気がします。
息子がもう少し大きくなったら、一緒に再訪したいと思います。
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