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【追悼 中田千太郎】

本日、千太郎の生まれ故郷である富山の新高岡にて、中田千太郎と最後のお別れをしてきました。

プロサーチ社長の松尾くん、家族信託普及協会の荒井さん、エス・テー・アールの寺本さんと一緒に告別式に参列。コロナ禍の中でしたが、たくさんの参列者に見守られ、彼は旅立ちました。

告別式が始まる前に、少しだけ千太郎の顔を見ることができました。

ガンとの過酷な闘いを終えて、とても安らかな表情をしていました。

最期の最期まで本当によく闘ったな。おつかれさま。



6月6日午前7時56分、昨年8月に診断されたスキルス性の胃ガンと闘い、千太郎は35歳の若さでこの世を去りました。

いまだに彼が亡くなったことが信じられません。

千太郎は前職(プロサーチ)時代、私の後輩であり、仕事のパートナーでした。

プロサーチでは確か3年~4年間ぐらい一緒に仕事をしたと思います。

千太郎がプロサーチに入社したときの面接は、私と松尾くん(現プロサーチ社長)で行いました。

面接では引き締まった表情で、熱い想いを語る力強い目つき。そして目じりにしわがよる人懐っこい笑顔。さらにさらに、「お前は資格マニアか」と突っ込みたくなるぐらい持っている資格の数。

過去には地元でバーの経営をしたり、投資用不動産を扱う会社でバリバリ営業をしていたという経歴も非常に面白いと思い、即採用を決めた記憶があります。

千太郎を採用するときに、当時のプロサーチ社長の芳屋さんに彼を採用したい旨を伝えたところ「お前ら(私と松尾くん)、あいつはやばいぞ!あいつに抜かされるなよ!」と言われた記憶が今も頭に残っています。

入社後、千太郎は私の希望で、私と一緒に動くことになりました。(私とは全然タイプの違う千太郎と一緒に組んでみたかったというのが当時の率直な気持ちです)

千太郎とは色々な仕事を一緒にした思い出がたくさんあります。

鎌倉の土地の売却ではなかなか買い手がつかず、苦労しました。現地周辺を一緒にポスティングしたり、草木が生えまくってジャングルのようになっている土地を、ホームセンターで芝刈り機を買ってきて、一日がかりで芝刈り。帰りに温泉に入って帰ったのもいい思い出です。絶対に売ってやるっていう千太郎の気持ちがビンビン伝わってきました。

世田谷の中古戸建の売買での、雨漏り事件は本当に大変でした。エレベーターピット(地下)に雨漏りした水が溜まってしまい、買主さんが大激怒。何度も一緒に買主さんのところに謝りにいきました。雨漏りの原因を追究するために、いろんな業者にあたって、いろんな調査をして、現地にも長時間張り付いて・・・最終的には原因を突き止めて、買主さんも満足する形で引渡しできました。打ち上げは贅沢に寿司。一人3万円ぐらいの(笑)



プロサーチ旅行では、いろんなところも一緒に行きました。

香港、マカオ、ベトナム、大阪、グアム・・・旅行の計画はいつも千太郎任せ。

なぜなら、彼はものすごいリサーチ力と海外でも全く遠慮をしない度胸のある行動力を持っているからです。

千太郎のおかげで、毎回旅行がスリリング!とにかく楽しくてしかたなかったです(笑)

今だから言えるけど、仕事をちょっと早めに切り上げて当時高校生だった清宮を神宮球場に見に行ったり、千葉マリンスタジアムや東京ドームにプロ野球観戦しによく行ってました。

もう、思い出すといろんなことが思い浮かんできて切りがありません。

お互いにプロサーチを退職後、昨年末に「高橋さん、今池袋にいるんですけど、池袋にいますか?」って連絡をもらったけど、その時は私の都合があわなくて会えませんでした。

結局、会わないまま年が明けて、フェイスブックで千太郎の病気のことを初めて知って。

とにかく余命宣告を受けたという内容のフェイスブックを見たときは本当にショックでした。

でもそのあと松尾くんとすぐに会いにいって、実際に会って千太郎の表情を見たら、厳しい状況であることは間違いないけど、もしかしたらなんとかなるんじゃないかって。

そのときは本当にそう思いました。

千太郎は全然あきらめてなかった。

強い生きる意思を感じて、こんな状況になっても、「千太郎らしいな、あいつは強いな」って松尾くんと話をしてました。

それから後の「絶対に治してやる」っていう強い気持ち、勇気をもったフェイスブックでの発信。色々な治療方法への挑戦。あきらめない心。

たぶん千太郎の生き様に、心を打たれた人はいっぱいいると思います。

もちろん私もその一人です。

どんなに痩せ細っても、苦しくても、強い気力で頑張って生きている千太郎を見て、自分自身も、強く生きなきゃいけないなって勇気づけられました。

そして、それを支える奥さんの真澄さんの強さにも、いつも心を打たれていました。真澄さん、最期の最期まで千太郎の力になってくれて本当にありがとう。

千太郎は真澄さんと出会えて、めちゃくちゃ幸せだったと思います。

本当はもっともっと会いにいきたかったけれど、4月に入ってからはコロナのこともあったので、なかなか積極的に会いにいけなかったのがとても悔やまれます。

「人間は二度死にます…

一度目は…

その肉体が生命を終えた時。

二度目は…

その方のことを覚えている人が

一人もいなくなった時」

って言葉があるよねって。

告別式が終わった後に荒井さんと話をしました。

千太郎の生命とは今日お別れしたけれども、これから先もずっと千太郎のこと、千太郎との思い出、千太郎の力強い生き様を忘れることはありません。

千太郎はいつまでも私の記憶のなかで生き続けます。

ありがとう千太郎。

またいつか会おうな。
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